Classifying:
Archaeology
Collection place:Exhibition Room 1
Era:Early Yayoi Period
Owner:Aomori Prefectural Museum
Remains location:Nambu-cho Yoshiara-machi Ruins
Accession number:2144‐25-0
かつては東北地方北部には稲作文化はないという考え方が主流でした。昭和56(1981)年垂柳遺跡で水田跡が発見され、弥生時代中期には青森県でも稲作が行われていた事が証明され、大きな驚きをもってとらえられました。その後、昭和60年前後になると、東北各地で遠賀川系土器が相次いで知られるようになりました。弥生時代前期、遠賀川式土器が西日本一円に広がり、稲作の範囲を示すものと考えられています。これと共通する要素をもった土器を遠賀川系土器といい、東北地方で縄文土器の伝統を引く土器に伴ってみつかる事がわかってきたのです。そうした中、弘前市砂沢遺跡で弥生時代前期の水田跡が発見され、当時考えられていた以上に早く稲作が伝わっていたことが明らかになりました。遠賀川系土器は西日本の稲作地帯から情報が伝わっていたことを示し、こうしたルートで稲作も伝わったのでしょう。遠賀川系土器は東北地方の弥生化を考える上で重要な意味を持っています。
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