あおもり見る知る掲示板
ふるさとの物語 第199回 嶺雪貞彦画遊漫歩 ~鋭い観察眼 優れた技量~
2021-03-30 09:57
陸奥湾の風景を中心に描いたと思われる画帖(画集)で、表紙に「嶺雪貞彦画遊漫歩(れいせつさだひこがゆうまんぽ)」とある。「嶺雪」とは、江戸時代後期の弘前藩士比良野貞彦(ひらのさだひこ)の号(画名)である。
江戸詰の貞彦(生年不詳―1798年)は、天明8(1788)年、参勤交代に従い弘前に入った。初めて見る津軽の風景は、全てが新鮮に写ったらしい。絵が得意だった貞彦は、領内を歩き、自然景観や人々の暮らし、見るもの、聞くものを丁寧にスケッチして記録した。年中行事や生活の中にある様々な文物の絵に解説を加えた『奥民図彙(おうみんずい)』(国立公文書館蔵)は、当時の津軽の人々の風俗を伝える資料としてよく知られている。
残念ながら今回紹介する画帖には、表紙に「嶺雪貞彦」とある以外に画者に結びつくような情報が一切なく、その上、地名の記述もほとんどない。一部に青森・油川とあるのみである。しかし、各図とも巧みな構図で描写も細かい。海辺の草むらの中を進む鹿の群れを描いた本図は、一瞬の鹿の動きさえも見逃さない観察眼の鋭さ、線の優美さも感じさせる。優れた技量を持つ人物の手になるものと考えることができるだろう。
※画像:『嶺雪貞彦画遊漫歩』より(県立郷土館蔵)
※この記事は2021年2月18日付の東奥日報朝刊に掲載しました。
投稿者:当館主任学芸主査 太田原慶子
ふるさとの物語 第198回 亀形土製品 ~精霊?海獣?発見も~
2021-03-30 09:56
亀形土製品は、およそ3千年前、縄文時代後期末から晩期に作られた、中が空洞の土製品である。
写真①(長さ7・9㌢、県立郷土館蔵・風韻堂コレクション)は、南部町寺下遺跡の採集品で、楕円(だえん)形の平面は頭と足を引っ込めた亀のようでもある。ただ、上端に二つの目が線で描かれ、目の間には口が開いている。下端には肛門を表すもう一つの穴が開けられ、二つの穴を正中線で結ぶ表現は岩版(素材が石に置き換えられた土偶のようなもの)と共通する。考古学者は外形が似ていると思って亀形と名付けたわけだが、実際は亀を写したものかどうか不明で、土偶と同じように精霊の姿なのかも知れない。
写真②(長さ3・5㌢、奈良国立博物館蔵・小野忠正コレクション)も、亀形土製品として登録された寺下遺跡の資料で、左側の突起は欠けている。こちらの形は亀というよりも、突起を鰭(ひれ)に見立てるとオットセイやトドなどの海獣のようである。目や口の表現はなく、穴は表裏に一つずつ開いている。
写真③(高さ11・2㌢、青森県立郷土館蔵)は、同じく南部町内にある埖渡(ごみわたり)遺跡出土の変わった形の壺(つぼ)である。革袋を模しているという解釈が一般的だが、それでは両側の突起が説明できない。突起は写真②に似た作りで、両手のように見えるため、これも海獣をかたどっているのではないだろうか。
縄文時代の出土品には現代人の視点から様々な名前がつけられているが、字面にとらわれず眺めると意外な発見がある。紹介した資料は、青森市の三内丸山遺跡センターで開催している「青森県立郷土館サテライト考古展示室 with 奈良国立博物館収蔵資料」展で、21日までご覧いただける。(県立郷土館主任学芸主査 岡本洋)
※「青森県立郷土館サテライト考古展示室 with 奈良国立博物館収蔵資料」展
(会期:令和3年1月23日~2月21日)
※この記事は2021年2月11日付の東奥日報朝刊に掲載しました。
投稿者:当館主任学芸主査 岡本 洋
ふるさとの物語 第197回 小野忠正コレクション ~亀ヶ岡文化期の優品~
2021-03-30 09:53
奈良国立博物館には、小野忠正氏(明治32年~平成10年)が収集した青森県ゆかりの資料約1万点が収蔵されている。小野氏は青森銀行に勤務していた。当時の勤務先は現在の県立郷土館本館であることから、当館にもゆかりのある人物でもある。
コレクションは三戸郡をはじめ県内各地で収集されたもので、縄文時代晩期の亀ヶ岡文化期の優品が多数含まれている。現在これらのうち15点が青森県に「里帰り」展示中である。資料は南部町寺下遺跡9点のほか三内丸山遺跡・二ツ森貝塚採集品。なかでも縄文晩期の寺下遺跡は古くから知られた遺跡だが発掘調査が行われていないため、その全容はよくわからず、実物自体をも目にする機会が少なかった貴重な資料である。
当遺跡の資料は、当館風韻堂コレクションに亀形土製品1点があり、奈良博所蔵の亀形土製品と揃っての初の展示である。また当館にも小野氏が収集した資料が1点ある。その石刃鏃(東通村ムシリ遺跡、縄文早期)も今回一緒に展示している。コレクションと久しぶりの顔合わせである。
また、寺下遺跡との関連資料として南部町埖渡遺跡、三戸町杉沢遺跡出土品を展示している。これらと見比べながら亀ヶ岡文化期の優れた芸術品を堪能していただきたい。青森県で初公開の里帰り15点。この機会にぜひご覧ください。
※「青森県立郷土館サテライト考古展示室 with 奈良国立博物館収蔵資料」展
(会期:令和3年1月23日~2月21日)
※画像:青森市三内丸山遺跡センターで展示した小野忠正コレクション
後列左から2点目が人面付壺形土器、前列は土偶や亀形製品など
※この記事は2021年2月4日付の東奥日報朝刊に掲載しました。
投稿者:主任学芸主査 杉野森淳子
ふるさとの物語 第196回 花田陽悟作「潮」 ~多彩な青と白 迫力十分~
2021-01-28 17:32
何種類の青が使われているのだろう。海の青の移り変わりと、波の白の多彩さ。波しぶきの細やかな形状表現。画面の中で波を追って視線があちこち動きまわる。実に迫力があり、見応えのある作品である。この絵の技法は多色木版画である。何枚も版を彫り、色の重ね方やぼかしの効果も考えて、何度も刷り重ねて完成されたものである。作者の花田陽悟氏(1930年青森市生まれ、版画家)は、陸上競技で国体選手として活躍し、体育教師から青森高校の校長を務められるなど、長年にわたり本県の教育向上に尽力された。また、退任後は青森市教育長、同市助役など要職を歴任された。
版画を始めたのは40才前後だという。この作品のように確かな技術による、美しい多色木版画を多数制作し、棟方志功が立ち上げた日本板画院を中心に作品の発表を続けてこられた。
※画像:花田陽悟作「潮」(多色木版画 紙 2002年、青森県立郷土館蔵)
※この記事は2021年1月28日付の東奥日報朝刊に掲載しました。
投稿者:当館主任学芸主査 中村理香
ふるさとの物語 第195回 オオセイボウ ~宝石のような青い輝き~
2021-01-28 17:31
全身が宝石のように青く輝くオオセイボウというハチがいる(写真1)。名前のセイボウとは「青い蜂」の音読みで、仲間のセイボウ科は日本に50種近く生息している。オオセイボウはその中の最大種で、体長は12~20mm、青森県が分布の北限だ。
このハチが県内で初めて見つかったのは、1937年(黒石市)のことであり、その後は西津軽の海岸域で2・3の記録があるだけだったので、青森県レッドデータブック(2020年版)では絶滅危惧種のDランクに指定されている。
それが2020年の7月、青森市内で、しかも住宅地で見つかったというから驚いた。見つけたのは、同市幸畑にお住いのSさんである。庭にある植木鉢で、スズバチ(鈴蜂)の巣づくり(写真2)を観察していた時だという。スズバチは6月末から泥で巣を作り始め、巣は次第に大きくなっていく。7月末ごろ、もう成虫が出てくるかと待っていたら、なんと、スズバチではなく、見慣れぬ青光りする蜂? が巣に止まっていた、という。
実は、オオセイボウは、スズバチなどの、泥で巣を作る「狩人蜂」の巣に寄生するハチなのである。宿主となるスズバチは、せっせと子どもの餌の尺取虫を厚め、巣に蓄え、卵を産んで封をする。そこにオオセイボウが飛んで来て穴をあけ産卵し、ふ化した幼虫は集められた尺取虫やスズバチの幼虫を食べるわけだ。まるで、カッコウの托卵のような子育てをしていることから、英語ではcuckoo wasps(カッコウ蜂)とも呼ばれているそうだ。
オオセイボウのように、希少な昆虫でも、その暮らし方を知り、ターゲットを絞って粘り強く観察を続ければ、出会えるチャンスが生まれるかもしれない。スズバチは、県内に広く分布するから、彼らの泥の家を見つけたら、ぜひじっくり観察してみたらどうだろう。
※画像:写真右 「宝石蜂」「カッコウ蜂」とも呼ばれる「オオセイボウ」 写真左 巣作りをする「スズバチ」(Sさん撮影)
※この記事は2021年1月21日付の東奥日報朝刊に掲載しました。
投稿者:当館主任学芸主査 太田正文